ネズミの心臓

白い兎はみだらで自堕落

儚いだけのきらめきだから

九州の実家から京都に戻って来た。地元と比べても、京都は暑い。湿度が高く、水分を含んだ空気が、肌に、毛穴にぺったりと張りつく感じがする。

京都に着いた私は、新幹線から降りたその足で、ATMからお金を引き出した。一万円札の束を掴み、伊勢丹へと向かう。化粧品売り場へ行き、アナスイでBBクリームを、MACで口紅を買った。口紅は、インスティゲイターと名付けられたダークプラム色のもの。扇動者の名にふさわしい、挑発的かつ魅惑的な色だ。MACはちょっとびっくりするようなダークカラーの口紅があるから好き。

そのまま四条の藤井大丸に行って、セール中のヴィヴィアンウエストウッドを覗いた。一番欲しかった型のブラウスは無かったが、胸元にフリルがついたストライプの綿のブラウスを試着して買った。私はずぼらなくせにアイロンが必要な洋服ばかり買ってしまう。伸縮性の無い生地でできた服を着るときの、よそ行きの身体が作られていく感覚が好きだ。服は私に「着られている」のだけれど、服は私の体形に合わせてはくれない。それでいて、綺麗に裁断され縫製された服は、僅かな隙間を残して私の身体に沿い、本物の肉体のそれとはまた別の美しさをもったシルエットを生み出してくれる。

家に帰った私は、荷解きもそこそこにベッドの上に置かれたノートパソコンの前に寝転がった。古書店の通販サイトで、山崎俊夫全集の補巻を購入。ここで問題なのは、私が全三巻の全集そのものを、持っているにも関わらずまだ読んでいないということだ。こうして未読の本がたまっていく。積読を消化してから新しい本を買えばいいと分かってはいるのだが、古本や出版されてから月日が経っている本は、出会った時を逃すと、二度と手に入らなくなるかもしれない。そう考えるといてもたってもいられなくなり、つい手が伸びてしまうのだ。大学生活もあと少し。その間にできるだけたくさんの本を読もうと思う。

さて、買い物を終え、夢から醒めた私の目の前に残されたのは、開かれぬまま床に転がったスーツケースと、取り敢えず袋から出してみただけの購入品たちだった。どうして夢の残滓は貧相にくすんで見えるのだろう。勿論それだって、十分魅力的なものには違いないのだが、あの世界の全てが色彩豊かにきらめいて見えるような時間と、そこに登場する愛しい小物たちに比べると、色褪せて取るに足らないもののように見える。私は物に対してお金を払うことで、きらめきの中に身を置く幸福感を買っているのだ。夢の残滓は私に使われて、色のない日常に埋没してゆく。かつて夢だったもの。私の部屋は夢の化石でいっぱいで、もう溢れ返りそうだ。