ネズミの心臓

書肆バベル跡地

ギムレットには早すぎる

深夜二時、私は木屋町の焼肉屋に居た。ビールがあまり得意ではないので、梅酒を飲みながら肉をつつく。テーブルの上には塩タン、上ロース、上カルビ、上ハラミ。箸休めのキムチとセンマイも置いてある。私がキムチを食べ、相方がセンマイを食べる。目の前で、牛の胃袋の切れ端が、人間の胃袋へと吸い込まれていく。そう考えるとシュールな光景だ。思わずこぼれた笑いを、梅酒を飲み込んでごまかす。

肉を焼くのは相方の役割だ。私は鳥の雛のように、目の前に食べ物が運ばれてくるのをぼんやりと待っていればよい。しっとりと質量を持った肉が、透明の汁を滴らせながら私の前にやってくる。皿に置かれた肉を暫く箸で弄んでから、口の中にぐいっと押し込む。自分のものではない熱が体内に入ってくる感覚。口内は肉汁で満たされ、粘膜が柔らかく擦られていく。そろそろと歯を熱い塊に食い込ませると、それはほろりと崩れ、肉汁はますます溢れ出す。体液をだらだらとこぼしながら形を無くしていく生き物は、口を、食道を通って身体中を支配する。私はアフリカの熱病に罹った患者だ。脳がぐずぐずに溶けていく。死ぬのが怖い。まだ死にたくない。お酒を飲めば大丈夫だよ。ほら、ここに梅酒の入ったグラスが。一人で死ぬのは怖いから、今度二人で一緒に死のうね。

寄生生物による発熱性の病が完全に治りきらないまま、私はふらふらと立ち上がり、相方の助けを借りながら店の外へと脱出する。夜中の涼しい風に乗って、生臭い匂いが漂ってくる。その匂いを発しているのは、営業時間を終えた飲食店の前に置かれたごみ袋だった。前を通りかかるとき、思い切り息を吸い込んでみる。肉や内臓の腐乱した匂い。それは死の匂いだ。そういえばさっき私の中に入ってきた生き物も死んでいたはずだった。彼はいつ死んだのか?私の体内でもう一度死ぬのか?だとしたら私の身体はまるで墓場ではないか。死ぬのが怖い。でも知らない誰かの死を抱え込んで生きるのも怖い。お酒を飲めば大丈夫だよ。ほら、もうすぐバーに着くから。お酒の瓶が青い光で照らされる、綺麗なバーだよ。

バーは雑居ビルの三階にある。その狭いエレベーターは、私に棺桶を連想させた。私死んじゃったのかな。店に入ると顔見知りのマスターが迎えてくれる。席について甘いカクテルを、と頼み、相方と小さく乾杯する。甘いお酒は薬だから、これを飲めばどんな病気も治ってしまう。生き物はすっかり小さくなって、身体の隅っこで大人しく丸まっている。まだ生きているだろうか。早く死んで、消えてくれればいい。そう思いながら、カクテルを何杯も飲んだ。怖いけれど、私は一人で生きて一人で死ぬのだ。薬の作用で私の身体がほんのりと火照りはじめて、彼は死んだ。でも、彼の骨の欠片や内臓の一部は、まだ私の中を漂っている。彼と一緒には死にたくない。死ぬのが怖い。怯えた目で周囲をきょろきょろ見回す私に気付いたマスターが、ギムレットを出してくれる。お酒を飲めば大丈夫だよ。ほら、これを飲んだら一緒に飛ぼうね。

 

結局私は直前になって足がすくんでしまい、どうしようもないのでタランチュラをショットで煽ってから飛び降りたのだった。何かを咀嚼するくちゃくちゃという音が、少し明るくなった空の彼方から聞こえた。